アクティブ・ラーニング

ご指導いただいた先生方の言葉

3年間の研究を振り返って

中京大学教授 酒井敏

目の前にいる学習集団、その構成員としての個々の生徒(学生)を信じよう。事新しくもなんともない言葉だが、この3年間の研究に伴走してきた実感である。
「鴻門之会」を脚本化して演じる、という授業の指導案を見たとき、正直「これは無茶だ」と思った。教科書の本文だけでは情報が少な過ぎ、私が日頃接している文学部の学生たちでも難しいと感じたからである。しかし、成果は見事であった。確かに授業者が充実した資料を用意しはしたが、それらを読み込んで、さらに想像力を働かせなければ、脚本も演技もできない。その場の雰囲気や的確な台詞を具体的に創り出せたのは、学習者が主体的・協働的に取り組んだからこそであろう。

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敢えて「最終報告書」では紹介されていない実践例を取り上げた。実践に対する授業者の自己評価は概ね辛く、反省と課題が強調されがちである。しかし、私から見れば、もっと高く評価してよい。従来の授業方法とは比較にならないほど、学習者が学習材に興味を持ち、積極的に授業に参加して、はるかに多くのものを得たことは確かである。そして、そこには間違いなく授業者の発見や成長もあったはずだ。
同様のことは、私が参観できた授業だけでなく、この3年間の実践全てについて言えよう。教師もアクティブラーナーとなる協働的な学びの中で、最も試されるのは読解力である。授業目標に応じてルーブリックを工夫するなど、授業者が担う要素は確かにあるとして、こうした授業を成り立たせるには、学習者・授業者ともに読解力を最大限に発揮しなければならない。一部には、基礎的な読解力が不足している現状からアクティブラーニングの有効性を疑う声もあるが、むしろ読解力は要求されることによって養成されると示したのが、今回の実践であった。読み手として主体的・能動的になること、個人で充分でなければ協働的になること、それこそが、AIの時代にますます価値と必要性を高めている読解力を創り出すのである。
「演じる」のみでなく、報道記事の作成、パフォーマンスや短歌の実作等々、様々なアウトプットを課すことで、この3年間の実践は読解(思考・想像)から表現(創造)への道を開き、このように現代の課題にも応えた。この3年間の実践(=挑戦)の成果が広く受け容れられ、多くの議論・さらなる工夫を生み出すことを期待したい。こうした挑戦が繰り返し試みられる先にこそ、今・ここで求められている国語教育の沃野が拓かれるのだから。

小牧南高等学校の研究の取組によせて

名古屋大学 大学院教育発達科学研究科
教授 柴田 好章

今般の新学習指導要領では、主体的・対話的で深い学び、各教科等の見方・考え方、カリキュラム・マネジメントなどが柱になっている。また、「教員は学校で育つ」という基本的な考えのもとで、教員の資質向上における校内研修の充実がさけばれている。こうした背景と関わらせると、小牧南高等学校における研究の取組は、まさに時機に適ったものであるといえる。
当初はアクティブ・ラーニングという言葉で広がった主体的・対話的な学びという概念は、学びの本来の姿を求めたものといえるであろう。

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本校では国語を中心に研究が展開されたが、文章を読むという行為は、単にテキストに書いてある情報が、読み手(生徒)の側にコピーされるというものではない。読み手がテキストに主体的に働きかけ、意味を再構成することによって成立する。テキストの理解や解釈には、読み手の能力、知識、経験、関心、選好、論理、個性など、人格の全てが作用する。そして、そこに先人(作者)との対話が生まれる。また、それは、自己との対話も生み出す。さらに、教室の中で一つのテキストを巡って生徒同士が語り合えば、自己の中での対話の世界を、外の世界へと開いていくことになる。ここに深くて豊かな学びの価値がある。
例えば、本校の研究授業の1つでは、古典(漢文)の読みをとおして、物語を解釈し劇を作る実践が行われた。生徒一人一人が、漢文のテキストを通して、登場人物同士が関わり合う物語の世界に浸り、個性的な想像力を働かせて、人物の立場になりきってセリフや演出を考え演技する。その過程では、元のテキストと自らの理解に加え、仲間の考えや、関連の資料から得た新たな情報を組み合わせ、理解を深めていく。演技をしようという動機によって、思考が促進され、テキストに書かれていないディテイルを想像する。今度は自分の想像が妥当かどうかを省察するために、元のテキストに立ち返って、その意味をより深く理解し解釈する必要が生まれてくる。こうした現実世界との関わりの中で生じる学びの必要性や価値(レリバンス)が、学びを豊かにしている。
本校の研究は国語を中心に開始されたが、他の教科へも広がっている。教科横断的な視点や教科を超えた教員同士の協働による授業の改善や教育課程の充実の取組も、これからの学校の姿を先取りしたものといえる。教材研究、授業デザインは、教師の主体的な研究活動によって充実する。本校の研究においては、新たな授業の開発に挑戦する生き生きとした教員の姿が印象的であった。さらに、教科の中での同僚性、また教科を超えた同僚性が、学校全体としての組織的な教育力を高めていく。本研究の成果が、本校の文化の中に溶け込んでいき充実発展してくことを期待したい。