平成の節目の年に

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。期待に胸をふくらませ本校の校門をくぐられてから3年が経ち、本日栄えある卒業の日を迎えられました。勉学や部活動、そして学校行事と、何事にも懸命に取り組まれ、思い出も一杯たくわえられたことと思います。今日この日の感動をしっかりと胸に刻んで、明日からの輝かしい旅立ちの糧にしていただきたいと思います。

保護者の皆さまは、お子様の誕生以来、18年間にわたり、深い愛情をもってお育てになって来られ、こうして立派に成長された姿を前にして、さぞかしお喜びのことと拝察申し上げます。本日の晴れのご卒業を心よりお祝い申し上げますとともに、3年間にわたり本校の教育に対してご支援いただきましたことに、改めて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

平成の元号も30年を数えることとなりました。振り返るならば、バブル景気絶頂からの崩壊、「失われた20年」と呼ばれる1991年3月から約20年にわたる日本経済の低迷、阪神大震災や東日本大震災など相次ぐ大災害等々、本当に走馬灯のように、この30年間の出来事が浮かんできます。

卒業生の皆さんにとっては、この30年間の内の半分くらいしか記憶にはないでしょうが、この節目の年に、日本人にとってこの平成という30年がどのような時代であったのかを振り返ることは、とりも直さず、私たちがこれからどう生きるかの指標を作ることに繋がると思います。また、今年は、明治維新から数えて、150年の節目の年にも当たります。私が小学生の頃、「明治百年」という言い方のもと、様々な記念行事が行われました。同時に、その頃「明治は遠くなりにけり」という言葉が至る所で使われたことを思い出します。その後、この言葉が中村草田男の俳句の一部だということと、昭和11年に作られていたということを知り驚いた記憶があります。しかし、昭和11年から明治を振り返れば、既に25年程が経過しており、しかも間に大正の時代を挟んでいるのですから、草田男の遠くなったという実感は決してオーバーなものではなかったのだと思います。

皆さんから見れば、昭和も十分に遠くなりけり、ということなのでしょう。いくら長寿社会になったとはいえ、人間の人生から見れば、30年くらいが、回顧するのに最も合理的な期間かも知れません。一方社会の歴史を振り返るのには、100年、150年といった期間のほうが、その変化を捉えるのにふさわしいのかも知れません。小牧南高校は、今年で創立39周年を迎えますが、初期の卒業生にとってはそろそろじっくりと振り返るべき時が来たと言えますし、地域にとっても、存在感を発揮する時期に至っていると言えそうです。

大学等に進学後、文系理系を問わず皆さんが学ぶ分野は実に多岐にわたると思います。自分がどうしてこの分野を選んだのか、そして今後どのようにその分野を活かすのか。また自分の専攻する学問は、どのような歴史をもち、人類の将来にどのような貢献をしうるのかを、個人の時間のスパンと社会の時間のスパンとの両方でもって、しっかりと考えて欲しいと思います。卒業生の皆さんの歩みと、小牧南高校の歩みとが同調し、大きな足跡を残すことを期待しています。