四十周年を前に

着任して次の周年行事は四十周年であると聞き、早めに準備をしなければとずっと思っていましたが、いよいよ来年に迫りました。P T A 会長の和久康子様を委員長とする四十周年実行委員会も5 月に発足し、少しずつ事業の内容が見え始めてきたところです。
四十周年という歳月を前にしていろいろと考えるところがあります。「不惑」と言えば、孔子の言行録「論語」の「四十にして惑わず」を典拠とし、四十歳を意味します。この年になれば、物の考え方などに迷いがなくなるという意味ですから、やはり相当な年数です。
まだ自分が高校生の時に、買ったばかりの「英英辞典」で[ g e n e r a t i o n ] の語を引いてみて、なるほどと思ったことがあります。その辞書はもうないので、手元の辞書を改めて引いてみると、[ t h e  a v e r a g e  t i m e  i n  w h i c h c h i r d r e n  g r o w  u p , b e c o m e  a d u l t s  a n d  h a v e c h i l d r e n  o f  t h e i r  o w n ] とあります。子供が成人になり次の世代の子供をもつまでの期間ということですが、この辞典には、さらに、約三十年間であるとの付記があります。この約三十年間が一世代だという考え方は、高校以来私の中でずっと存在感をもっています。
考えてみると、教員として勤務するのもだいたい三、四十年です。一つの学校に四十年も勤めることはまずありませんが、同じ地域に勤めることはありますから、本校をよく知る先生が現職として見届けられるぎりぎりの期間とも言えるでしょう。
既に本校は第二世代に入っていると言えるのですが、先の「英英辞典」の定義にあるように、一世代が終わるだけでなく、次の子供の世代がしっかりと育つことが、世代交代には大切です。
中国の唐代のある詩人は、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と言いました。毎年毎年、花は変わることなく咲くが、人の世の変わりやすいことよ、という意味ですが、考えてみれば、学校の生徒とは集まっては、順次去っていくのが当然であり、そんな中で、本校はごく自然に立派な枝をつけ、花を咲かすように齢を重ねてきたのだと、心から思います。
四十周年を自然体で迎えたいと思うと共に、P T A の皆様のご協力を改めてお願いします。